新潟濱村の船出

新潟濱村の船出 1616年。戦国時代が終わり中世のままだった河口の村「新潟濱村」に、近世の時代がやって来た。 中洲から土が運ばれて、川岸が埋めたてられ、町が川沿いに移転された。町中に堀が掘り込まれて信濃川の水が引き入れられ、舟運の便が図られた。 お堀は一番堀に始まり、東西に伸びるだけで無く南北にも掘り込まれた。縦横に交差す…
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「蔵の街」新潟島

「蔵の街」新潟島 江戸時代に北前船が寄港する湊町として繁栄した新潟市の中心部は、 第二次世界大戦時に絨毯爆撃が無かったため、 蔵や町屋建築など戦前からあった貴重な建物が数多く残っています。 蔵・土蔵は、家と町の歴史を物語る重要な資産です。 保存・活用されることにより新潟の町の歴史的価値も高まりま…
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何でもある素晴らしい街・新潟?

歴史なら、北前船最大の寄港地。商人町人の湊町。浜文化の街。北洋漁業船団の基地。新潟芸妓の花柳文化。河川や内水面の湖水との水運。内陸の全ての生産物を集めて全国と結ぶ貿易都市。経済力で長岡藩主を凌駕した町人たちの列伝。新田開発や治水の歴史。町人に出来ない骨太の政策を実行した堀直竒・川村修就・西園寺公望・楠本正隆など全国区のエリートたち。 …
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フランス ナント市 視察報告

「人」が、街をつくる。  フランスで最も住みやすい都市とも言われるナント市(人口28万人、都市圏人口71万人、2006年現在8番目の都市)と、LRTによる都市造りで、欧州のモデルともなったフランスの古都・ストラスブール。両都市とも公共交通が整備された美しい都市です。  人々が集う美しい街を歩いて観て感じたのは、街路も都市も、…
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砂浜が消えた!! 新潟市の海岸線浸食について

「忘れてはいけない みなとまちの歴史 新潟市1」について 平成21年に入り、水と土の芸術祭の準備が進められて、 新潟市の歴史=泥田の歴史 が喧伝されています。 泥田が乾田に変わったのは、魔法でも何でもありません。 18ヵ所の揚排水機場で、1秒間に合計304トンの揚排水量を誇る亀田郷土地改良区のポンプの力もありますが、 …
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忘れてはいけない みなとまちの歴史 新潟市4

「新潟県北洋漁業発展誌」内橋 潔 著より1 2 3 4 発展する鮭鱒漁業 明治二二年(一、八八七)から、新潟港は、従来の新潟港とは異なって、対岸沿海州、さらに樺太、及びカムチャッカ方面に出漁する漁船の根拠地としての景観を、次第に形成するようになったが、はじめのうちは、目指す漁場は対岸沿海州に限られた。 明治二七年(一、…
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忘れてはいけない みなとまちの歴史 新潟市3

「新潟県北洋漁業発展誌」内橋 潔 著より1 2 3 4 先駆者の出現 浦汐からいろいろの情報をもって帰ってきた伏見半七の意見に共感を示した者もあるし、無関心の人々もあった。ところが、ここに多大の関心をもち、伏見に対する協力と後援を果たした1人の人物が登場することになった。 その名は関矢儀八郎、安政五年(一、八五八)新潟…
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忘れてはいけない みなとまちの歴史 新潟市2

「新潟県北洋漁業発展誌」内橋 潔 著より1 2 3 4 新潟開港と沿海州漁業   新時代の新潟港 新潟五港の一つとなる 二〇〇年に及ぶ鎖国の夢を破ったのは、嘉永六年(一、八五三)浦賀に来航したアメリカ軍艦だった。その後欧州各国の艦船は、しきりにわが国を訪れて、通商修好を迫った。国内には尊王攘夷論が横溢、幕府は両…
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忘れてはいけない みなとまちの歴史 新潟市1

忘れてはいけない みなとまちの歴史 新潟市 1 2 3 4 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 「新潟県北洋漁業発展誌」内橋 潔 著より ー「広大な北方の海」水との戦い 苦難の歴史ー 以下は、 「新潟県北洋漁業発展誌」内橋 潔 著 より、引用。引用ページ数を記載。…
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